Product Design Wiki

デザインを「作品」と呼ぶことについて

※この記事の内容はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。

物語

「ぼく」は新人のプロダクトデザイナーで、毎日自分のアイデアを形にしては、それを自分の「作品」と呼んでいた。自分の作った画面デザインを見るとき、その「作品」が、自分の感情、思考、情熱の具現化だと信じて疑わなかった。

デスクの向かいには、Oという先輩デザイナーがいた。Oは常に黒いスエットシャツを着ており、その濃い黒色が彼の内面を覆っていたように思えた。

ある日、ぼくが新しいデザインをOに見せた。「どうですかOさん。これは僕の最高の作品ですよ。」

「そうか。」Oは言った。「だが、それは全てお前一人の”作品”だろうか?」

「はい、それがどうしたんです?」ぼくは少し怒り気味に答えた。

Oは深い黙りを保ちながら、ぼくのデザインをじっと見つめた。「このプロダクトは、お前一人の”作品”と呼ぶには、あまりにも多くの手が関わっている。プロダクトチーム全体の知恵やエンジニアの技術、マーケティングのデータ、ユーザーからのフィードバック、全てが組み合わさって初めて生まれるものだ。」

「でも、それを形にしたのは僕じゃないんですか?」ぼくは反論した。

「その”形”はほんの一部だ。」Oは言った。「それが全てではないし、そしてそれはお前の「作品」でもない。プロダクトはチームの力で生み出される”道具”だ。そして道具はユーザーに使ってもらって価値を感じてもらうものだ。」「そして我々は芸術家ではない、開発者なんだ。」

その言葉はぼくの心を突き刺し、その痛みをいつまでも引きずることになった。

そして何年か後、ぼくは転職を決意した。面接の際、面接官からこんな質問をされた。

「あなたは自分のデザインをどのように考えていますか?」

その質問を受けて、ふとOの言葉が頭をよぎった。

ぼくはふと少し考えた後、ひとつの確信を持って答えた(終)

物語の講評

「作品」はアート、つまり芸術品のようなもので、その価値は作者の感情や思考、情熱の具現化にあるとされる。一方で「道具」は、ユーザーに使ってもらって価値を感じてもらうもので、作者の感情や思考、情熱の具現化は必要とせず、ユーザーのニーズを満たすことが重要だ。この物語は我々プロダクトデザイナーがどちらを志すべきかを暗示している。